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浦和地方裁判所 昭和60年(ワ)1422号 判決

原告

小笠原告隆

右法定代理人親権者父兼原告

小笠原晃

外一名

右原告ら訴訟代理人弁護士

須賀貴

中山福二

栗田和美

被告

関善光

右訴訟代理人弁護士

須田清

伊藤一枝

岡島芳伸

主文

一  被告は、原告小笠原吉隆に対し、金一億二五六〇万二七三九円及び右金員のうち金一億一五六〇万二七三九円に対する昭和五九年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告小笠原晃及び同小笠原裕子に対し、各金三五〇万円及びうち各金三〇〇万円に対する昭和五九年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は被告の負担とする。

五  この判決の第一項は、金六〇〇〇万円を限度に仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告小笠原吉隆に対し、金一億六五二七万七〇〇〇円及び右金員のうち金一億五二二七万七〇〇〇円に対する昭和五九年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告小笠原晃及び同小笠原裕子に対し、各金一一〇〇万円及びうち各金一〇〇〇万円につき右同日から支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の原因

1  当事者の地位

(一) 原告小笠原吉隆(以下「原告吉隆」という。)は、昭和四六年一一月一一日出生し、後記事故発生当時満一三歳であったもので、昭和五一、二年ころから気管支喘息の治療のため、埼玉草加病院に通院していた。

原告小笠原晃(以下「原告晃」という。)及び同小笠原裕子(以下「原告裕子」という。)は原告吉隆の父及び母である。

(二) 被告は、肩書地において、草加中央診療所(以下「原告診療所」という。)を経営する医師である。

2  本件事故発生の経過

(一) 原告吉隆は、昭和五九年一一月一五日午後五時三〇分ころ、腹痛のため、埼玉草加病院にて診察を受けたところ、虫垂炎との診断がなされ、同病院から被告診療所の紹介を受けた。

(二) 原告吉隆は、同日午後七時三〇分ころ、被告診療所において、被告の診察を受け、虫垂炎の診断を受けた。

(三) 被告は、右診察の後、医師会主催の勉強会のため外出し、午後一〇時三〇分ころ被告診療所に戻り、原告晃及び同裕子に対し、原告吉隆を手術する旨を告げた。これにより、原告晃及び同裕子との間において、原告吉隆の虫垂炎の手術(以下「本件手術」という。)につき準委任契約が成立した。

(四) 被告が行った本件手術の経緯は次のとおりである。

(1) 同日午後一〇時三五分、硫酸アトロピンを筋肉注射した。このときの血圧は上一一〇、下六八(以下、血圧は「最高値―最低値」で表記する。)であった。

(2) 同日午後一〇時四〇分、五パーセントのグルコース(ブドウ糖)五〇〇ミリリットルの点滴を開始した。

(3) 同日午後一〇時五三分、ネオペルカミンS1.8ミリリットルを用いて腰椎麻酔をした。このときの血圧は一一〇―六〇であった。

(4) 同日午後一一時〇〇分、酸素投与を開始したが、原告吉隆は、気分不快、吐気を訴え、顔色不良になった。血圧は一〇〇―六〇であった。

(5) 同日午後一一時〇三分、執刀を開始した。その後間もなく、原告吉隆が気分不快、吐気を訴えるので、二〇パーセントのカルニゲン一アンプル(昇圧剤)を投与した。このとき、血圧の測定をしなかった。

(6) 同日午後一一時〇五分、原告吉隆が再び気持が悪いと訴え出して上半身、特に両上肢を盛んに動かした。被告は、このとき虫垂を取り出したところであったので、吐気を止めようと考え、吐気止めのプリンペランを投与した。このときの血圧は五〇―測定不能の状態になっていた。

(7) 同日午後一一時一〇分、被告は、手術中に血液の変色に気付き、このとき初めて原告吉隆の重篤な麻酔ショックに気付いた。このときの原告吉隆の状態は、口唇チアノーゼで、脈はなく(心停止)、意識喪失状態であった。被告は、あわてて手術を中止し、マウス・トゥ・マウス、心マッサージ、昇圧剤ノルアドレナリンの投与等の救急蘇生術を行った。

(五) しかし、原告吉隆は、右腰椎麻酔ショックによる高度の血圧低下によって意識消失、呼吸抑制、心停止に至ったために低酸素性脳障害に陥り、その結果、痙性麻痺、四肢躯間屈曲拘縮、意識障害、自動運動不能の回復不可能な、いわゆる植物人間になった。

3  被告の責任

(一) 喘息患者に対する腰椎麻酔の危険性について

麻酔及び手術侵襲は、程度の差はあるが、呼吸器系に何らかの影響を与えるところ、正常の呼吸機能を有する患者では耐え得るような変化でも、喘息を含む呼吸器合併症のために呼吸機能が低下した患者では重篤な障害をもたらす可能性がある。そのため、術前から呼吸器合併症を有する患者の麻酔管理は慎重に行う必要がある。ことに、喘息患者に対する腰椎麻酔は非常に危険なものであるところ、手術の緊急性が存してこれを行う場合には、術前、術中、術後の麻酔管理を特に慎重にしなければならない義務がある。

しかるに、被告は、以下に述べるとおり、喘息患者に対する腰椎麻酔の危険性を十分認識することなく、慎重な麻酔管理を怠った。

(二) 術前管理を怠った過失

(1) 術前管理として、患者の全身評価をなすべき義務があるところ、被告はこれを怠り、その評価の程度に応じた喘息の治療をしなかった。特に、

① 原告吉隆は、本件事故の三日前から喘息発作が存したのであるから、その発作の程度、使用している治療薬の種類、特にステロイド薬の使用の有無などを問診などを通じて確認すべきところ、被告はこれをしなかった。

② また、原告吉隆の脱水の有無を確認することは必須のことであるにもかかわらず、被告はこれをしなかった。

(2) 術前管理の一つとしての問診は、高度に専門的な知識を必要とするのであるから、医師自らが行う義務があるというべきである。しかるに、被告は、問診を看護婦にまかせたまま外出し、自ら行わなかった。

(三) 術中管理を怠った過失

(1) 麻酔ショックによる心停止に至るまでの血圧低下に対する予防、治療を怠った過失

① 原告吉隆の初診時の血圧は一一四―五〇、午後一〇時三五分のそれは一一〇―六八であったところ、同人は午後一一時〇〇分、気分不快、吐気を訴え、顔色不良となり、血圧は一〇〇―六〇となり、血圧の低下が始まっている。血圧の低下は、腰椎麻酔施行後一五分以内に発現することが多く、最高血圧値が七〇ないし八〇以下になると、脳血流の低下による悪心、嘔吐、精神不穏などの情況を呈するようになる。

そうすると、喘息患者である原告吉隆が腰椎麻酔の七分後に右のような状態になり、血圧低下も始まっていたのであるから、この時点で、原告吉隆の血圧低下による麻酔ショック発生の危険性を察知して、血圧測定を繰返しながら、血圧低下の状態を観察し、更に血圧低下が進行するようであれば、執刀を開始せず、直ちに昇圧剤を投与するなどの措置をして、血圧低下の防止ないしその回復のための治療をする注意義務があったにもかかわらず、被告はこれを怠った。

② 午後一一時〇三分、被告は執刀を開始し、その後間もなく原告吉隆が気分不快、吐気を訴えたのであるから、被告は昇圧剤カルニゲンを投与した後、この時点でも、原告吉隆の血圧低下による麻酔ショック発生の危険性を察知して、手術を中止して、血圧測定を繰返しながら、右昇圧剤カルニゲンの効果の有無を確認し、その効果がなく、危険な状態になれば、直ちに強力なアドレナリン等の昇圧剤を投与するなどして、血圧低下防止のための治療をする注意義務があったにもかかわらず、被告はこれを怠った。

③ 被告が血圧低下防止の治療を怠ったため、原告吉隆の血圧低下が進行し、このため、被告吉隆の苦痛が増大し、午後一一時〇五分には、再び気分不快、吐気を訴え、上半身、両上肢を盛んに動かして苦しみ、このときの血圧が五〇―測定不能であったのであるから、直ちにアドレナリン等の昇圧剤を投与するなどの血圧改善のための治療をする義務があったにもかかわらず、これを怠り血圧低下に対する治療には全く効果のない吐気止めプリンペランを投与しただけであった。

(2) 発生した麻酔ショックに対する適切な措置を怠った過失

① 麻酔ショックが発生した場合、一般的措置として、先ず輸液の速度を速めて、乳酸リンゲル液、生理的食塩水等を五〇〇ないし一〇〇〇ミリリットル投与するべき義務がある。しかるに、被告は、ブドウ糖液を投与しただけで、乳酸リンゲル液、生理的食塩水等を投与しておらず、一般的な措置すら怠った。しかも、被告の投与したブドウ糖液は、ショック状態の患者には投与してはならないものである。

② 麻酔ショックによる血圧低下が発生した場合、下肢挙上あるいは頭低位(トレンデレンブルグ体位)の方法を採るべき義務がある。ところが、被告は右義務を怠ったばかりでなく、逆に、原告吉隆の頭を高くした。

③ 救急蘇生術の最初は気道の確保であり、最も確実な気道確保である気管内挿管を行うべき義務があるところ、被告は、これを怠った。気管内挿管は本件事故発生の翌一六日午前〇時五二分になって初めて応援に駆け付けた川田医師が行ったものである。

④ 麻酔ショックによる心停止が発生した場合、回復の可能性がある心停止後四分以内に適切な救急蘇生術をする義務がある。ところが、被告は、原告吉隆が午後一一時一〇分血圧上五〇、下測定不能の重症麻酔ショックに陥ってから五分後に昇圧剤ノルアドレナリンを投与したにすぎない。

⑤ また、被告は、麻酔ショックに対する準備不足のため、訓練を受けた補助者も蘇生器具もないままに、最も酸素を必要とするときに酸素投与を中止するなど、救急蘇生方法は杜撰なものであった。

4  損害

(一) 原告吉隆の損害

(1) 逸失利益 金五六〇七万三〇〇〇円

原告吉隆(当時一三歳)は、原告晃及び同裕子の一人息子であり、大学まで進学する予定であった。しかるに本件事故によりいわゆる植物人間となり、労働能力の全部を喪失した。昭和五九年の賃金センサスによると、大卒男子の平均賃金は、金四八九万四一〇〇円であり、原告吉隆の就労可能年数は、二二歳より六七歳までである。これらに基づいて、ライプニッツ式計算法によって年五分の中間利息を控除して、本件事故当時における逸失利益の現価を算出すると、次のとおりとなる(ただし、一〇〇〇円未満切捨て。)。

4,894,100×{18.5651(54年のライプニッツ係数)−7.1078(9年のライプニッツ係数)}=56,073,000円

(2) 将来の入院雑費 金六九二万七〇〇〇円

原告吉隆は、現在いわゆる植物人間の状態であり、将来にわたって入院を余儀なくされることになる。厚生省大臣官房統計情報部編「第一五回生命表」によれば、原告吉隆の余命は六一年であり、入院雑費を一日一〇〇〇円として、ライプニッツ式計算法によって年五分の中間利息を控除して、将来の入院雑費の本件事故当時における現価を算出すると、次のとおりとなる(ただし、一〇〇〇円未満切捨て。)。

1,000×365×18.9802(61年のライプニッツ係数)=6,927,000円

(3) 将来の付添費 金六九二七万七〇〇〇円

原告吉隆は、食物の摂取や排便、排尿にも介護を要するほか、障害が高度で常に監視のための介護も必要な状況であり、付添が必要である。付添費を一日一万円として、右(2)と同様に、本件事故当時における現価を算出すると、次のとおりとなる(ただし、一〇〇〇円未満切捨て。)。

10,000×365×18.9802(61年のライプニッツ係数)=69,277,000円

(4) 慰謝料

原告吉隆は、本件事故にあうまでは、軽い気管支喘息を患っていただけで、それ以外はまったく健康な中学生であった。しかるに、本件事故により、植物人間にされ、同人の受けた精神的苦痛は甚大である。したがって、慰謝料としては金二〇〇〇万円を下ることはない。

(二) 原告晃及び同裕子の損害

原告晃及び同裕子は一人息子である原告吉隆を将来の楽しみにして同人を育ててきた。愛息を植物人間にされた原告夫婦の悲しみは大きい。したがって、原告晃及び同裕子の慰謝料は、各金一〇〇〇万円を下ることはない。

(三) 弁護士費用

原告らは、弁護士である原告ら訴訟代理人に本訴の提起追行を委任し、弁護士報酬規定に基づき、原告吉隆が金一三〇〇万円、原告晃及び同裕子が各自金一〇〇万円を支払うことを約した。

よって、原告らは、被告に対し、不法行為又は債務不履行による損害賠償請求権に基づき、原告吉隆につき金一億六五二七万七〇〇〇円及びうち金一億五二二七万七〇〇〇円に対する不法行為の日の翌日である昭和五九年一一月一六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告晃及び同裕子につき各金一一〇〇万円及びうち金一〇〇〇万円に対する右昭和五九年一一月一六日からそれぞれの支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実のうち、(一)は不知、(二)は認める。

2  同2について

(一) 同(一)の事実のうち、被告が埼玉草加病院より原告の紹介を受けたことは認め、その余は知らない。

(二) 同(二)の事実は認める。

(三) 同(三)の事実のうち、被告が医師会の勉強会に出かけたこと、原告らに対し原告吉隆を手術する旨告げたことは認め、その余は否認する。

(四) 同(四)の事実のうち、(1)、(2)、(3)は認める。(4)のうち血圧の数値は認め、その余は否認する。(5)のうち血圧を測定しなかったとの点は否認し、その余は認める。(6)のプリンペランを投与したこと及び血圧の上が五〇であったことは認め、その余は否認する。(7)のうち、マウス・トゥ・マウス、心マッサージ、昇圧剤ノルアドレナリンの投与の事実は認め、その余は否認する。

(五) 同(五)の事実のうち、原告吉隆の障害の点は不知、因果関係の点は争う。被告は、原告吉隆が東京女子医大第二病院に転院した時に、同病院に対し同人に脳障害を防止する最後の手段である高圧酸素療法を受けさせて欲しい旨依頼し、同人の意識障害の改善を図るべく行動したが、原告晃は右高圧酸素療法を受けることを拒否し、昭和六一年一〇月二五日になってはじめて右療法を受けたのである。

3  同3について

(一) 同(一)のうち、麻酔をかける医師が麻酔管理をしなければならないとの主張は争わないが、その余の主張は争う。喘息が呼吸器合併症であるとはいえないし、腰椎麻酔は喘息患者には非常に危険なものであるとはいえず、むしろ呼吸器疾患のある患者にも適当であり、喘息の既往歴があることは禁忌事項にも該当していない。また、本件虫垂炎手術は、当日中に施術しないで翌日までおくと穿孔するおそれが十分にあったという程度の緊急性が存した。

(二) 同(二)(1)の冒頭の事実のうち、被告が喘息の治療をしなかったことは認め、その余は否認する。次に述べるとおり、喘息の程度及び脱水症状なしという確認結果からは喘息の治療をする必要性はなかった。

同(二)(1)①は否認する。被告は、原告吉隆が三日前に発作があったとしても咳が少し出た程度であったこと、同人が自宅で吸引していることを聴取しているし、同人の喘息の担当医である福島医師からも喘息の程度はたいしたことがなく、吸入薬を出している程度である旨を聴取している。同②は否認する。脱水の有無を確認したが脱水状態がなかったので、あえて記録に止めなかっただけである。

同(二)(2)の事実は認めるが、その主張は争う。医師が直接すべてを問診しなければならないわけではなく、被告は看護婦から問診の結果を聴いている。

(三)(1) 同(三)(1)①の事実のうち、午後一一時に原告主張の気分不快、吐き気、顔色不良の症状を呈したこと及びそのときに血圧低下が始まったことは否認し、その余の事実は認め、その主張は争う。脊椎麻酔による血圧低下は生理的反応であって軽度の場合には治療の必要はなく、被告は、執刀開始時に血圧の低下がないことを確認してから執刀した。また、血圧一〇〇―六〇と一〇〇―六八とは測定誤差の範囲である。

同(三)(1)②の事実は否認し、その主張は争う。原告は気分不快を訴え、顔色が良くなく、吐き気もあったが、チアノーゼはなく、血圧もそれほど下がっていなかったので、血圧降下予防剤としてカルニゲン一アンプルを投与し、血圧、脈拍心電計によるも危険な状態ではなかったので、執刀を開始した。

同(三)(1)③の事実のうち、原告が気分不快を訴え、上半身を動かしたこと、及び悪心、吐き気止めのプリンペラン一アンプルを投与したことは認め、その余は否認し、その主張は争う。原告ら主張のように、原告吉隆の血圧が一一時〇五分に五〇―測定不能になったとするならば、同人の意識状態は無関心―昏睡となるところ、同人は意識があったのであるから、右原告らの主張は誤りである。

同(三)(2)①の事実のうち、乳酸リンゲル液、生理的食塩水を投与しなかったことは認めるが、その余は否認し、その主張は争う。生理的食塩水に近い量の塩化ナトリウムを含む糖質・電解質輸液である糖加乳酸リンゲル液・ポタコール液を投与しており、これは原告ら主張の薬剤よりも改良されたものである。

同(三)(2)②の事実のうち、下肢挙上あるいは頭低位の方法を採らなかったことは認めるが、原告の頭を高くしたことはない。麻酔をかけることから原告の頭側が二度高くなっていたのである。

同(三)(2)③の事実は認めるが、その主張は争う。気管内挿管が気道確保の唯一の方法ではなく、最初から気管内挿管をしなければならない義務は存しない。

同(三)(2)④の事実は否認する。

同(三)(2)⑤は争う。被告は、原告吉隆の血圧が五〇になり、脈が触れなくなった時に、直ちに手術を中止し、心マッサージを開始し、血圧昇圧剤、アシドーシスに効果のあるアルカリ剤、血圧上昇作用のある急性循環不全改善剤を投与して、適切な治療をした。

4  同4は争う。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一請求原因1(当事者の地位)について

1  請求原因1(一)の事実について、〈証拠〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告吉隆は原告晃及び同裕子夫妻の長男として昭和四六年一一月一一日出生し、本件事故当時一三歳であったものであり、昭和五五年ころから気管支喘息に罹患し、埼玉草加病院で治療を受けていたが、昭和五六年から昭和五七年にかけて発作時に数回、同病院で点滴を受けたことがあったほかは、超音波吸入を受ける程度であって、昭和五八年ころは体調もさほど悪くなく、昭和五九年にはいって六月ころ超音波吸入を受けて以後自宅で吸入をするという状態が続いていたことが認められる。

2  同(二)の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2(本件事故発生の経緯)について

1  〈証拠〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故発生の経緯として次の事実が認められる。

(一)  昭和五九年一一月一五日午後一時ころ、学校から帰宅した原告吉隆は、父親の原告晃に腹痛を訴え、同日午後五時ころ原告晃に付き添われて埼玉草加病院に赴いて福島医師の診察を受けた。同医師は、血液検査の結果、白血球数が一二五二〇であったことから、急性虫垂炎との診断を下し、被告に電話して、「喘息がある患者であるが、今は喘息は大したことがないので、お願いしたい。」旨告げて診てほしい旨依頼し、原告晃らには名刺に紹介文と右白血球数を記載して、被告診療所を転院先として紹介した。

(二)  原告吉隆及び同晃は、右名刺を携えて、被告診療所に赴き、同日午後七時三〇分ころ被告の診察を受けた。診察の結果、体温は三七度、白血球数一三二〇〇、血圧一一四―五〇であり、腹部圧痛の所見があったこと等から、被告は、急性虫垂炎であると診断したが、かねてから医師会主催の勉強会に出席することを予定していたため、原告吉隆及び同晃に対し、手術をした方が良い旨を伝えるとともに、看護婦に対しては、白血球を測り直し、胸部写真、心電図、腹部写真等をとり、原告吉隆の既往歴の確認をし、手術場の消毒や清掃などの手術の準備をしておくよう指示して、右勉強会に出かけた。

(三)  被告は、同日午後一〇時過ぎ帰宅し、看護婦から、原告吉隆は約三年前より喘息発作があって埼玉草加病院で治療していたこと、三日前より喘息発作があって吸入を受けていたこと、当日初めてインフルエンザの予防注射を受けたことなどを聴き、原告吉隆を再度診察した結果、同人には初診時と同様に腹部の圧痛があり、白血球数は一三二〇〇と同じであったものの、体温は37.2度に上昇しており、翌朝までそのままにしておくと穿孔の恐れもあるので、今晩中に手術すべきであると判断し、やはり手術の必要性があることを原告らに伝えた。原告吉隆の喘息の程度については、来院時に聴診器による診察でやや喘鳴があったものの、福島医師から依頼を受けた際の「喘息の発作が前はひどかったが、現在はそんなにひどくない。」との説明や、看護婦からの聴取結果から、被告は、原告吉隆の喘息の程度は重くないものと判断し、喘息発作がいつ止んだか、発作に対してどのような薬剤を使用していたかなどの詳細は原告らに尋ねなかった。

(四)  被告が行った本件手術の経過は次のとおりであって、被告を補助し、手術に立ち会ったのは、准看護婦松岡と准看護婦学校在学中の小堀及び鎌田の三名である。

①[同日午後一〇時三五分]血圧一一〇―六八、脈拍数八八、嘔気なく顔色は良好であった。麻酔前投与薬の硫酸アトロピン一アンプルを筋肉注射した。

②[同日午後一〇時四〇分]血管確保のため、原告吉隆の右手に二〇ゲージの翼状針を使用して五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴を開始するとともに、心電図と脈拍を表示するモニターを取りつけた。

③[同日午後一〇時五三分]血圧一一〇―六〇、脈拍数九二。原告吉隆を右側臥位に寝かせ、頭部を高位二度の状態にし、腰椎の三番と四番の間にネオペルカミンS1.8ミリリットルを注入して、腰椎麻酔を実施した。五分間そのままの姿勢にし、五分後仰臥位にした。麻酔のかかり具合(麻酔高)を確かめたところ、臍部より右側下は完全に痛みがなく、剣状突起及び左側には痛みが残っていた。手術野を消毒。

④[同日午後一一時〇〇分]血圧一〇〇―六〇、顔色不良、鼻腔カテーテルで酸素を流し始める。

⑤[同日午後一一時〇三分]執刀開始。しかし嘔気があり、原告吉隆が「気持ち悪い」と訴える。二〇パーセントのブドウ糖液にカルニゲン(血圧下降予防剤)一アンプルを溶かして管注投与し、手術はそのまま続行。

⑥[同日午後一一時〇五分ころ]再び気持ちが悪いと訴え、上半身、特に両上肢を盛んに動かした。被告は、「坊や、そんなに動くと腸が出てくるから暴れちゃいけないよ。」などと諭して手術を続行。ちょうど虫垂と大網膜との間をはがしていたところであったので、それによる嘔気と思い、二〇パーセントブドウ糖液にプリンペラン(悪心、嘔気止め剤)一アンプルを溶かして管注投与した。このときまでの血圧の変化は不明である。被告が虫垂を腹腔外に取り出したとき、手術野の血液の色が悪いのに気付き、血圧を測定していた鎌田に尋ねたところ、「上五〇、下測定不能」である旨の応答があった。原告吉隆の顔色は悪く、口唇にチアノーゼが出ており、モニターも異常音を出し、意識喪失し、脈も触れない状態であった。

⑦[同日午後一一時一〇分]直ちに手術を中止し、心マッサージを開始し、マウス・トゥ・マウスを二回行い、鼻腔カテーテルで酸素を流すことを中止してアンビューバッグを用いた人工呼吸を開始するとともに、ノルアドレナリン(血圧上昇剤)一アンプル、メイロン(アシドーシスに効果のあるアルカリ化剤)二〇ミリリットル二本を管注投与した。

⑧[同日午後一一時一三分]手指にチアノーゼあり、脈触れない。

⑨[同日午後一一時一五分]イノバン(血圧上昇作用のある急性循環不全改善剤)一〇〇ミリリットル、ソルコーテフ(抗ショック作用を有する水溶性副腎皮質ホルモン剤)五〇〇ミリグラムを点滴内へ混入投与

⑩[同日午後一一時一八分]心拍再開。心マッサージを中止して、アンビューバッグによる人工呼吸のみとした。脈が触れないことが確認された一一時一〇分前ころから心拍再開までは心停止に近い状態が続いていたことになる。

⑪[午後一一時三〇分]血圧一二〇―九〇となり、自発呼吸も出て、チアノーゼも消失傾向になった。

⑫[午後一一時四五分]呼名反応及び意識はないものの、チアノーゼは完全に消失し、心拍、呼吸は良好になったので、左足よりポタコール(五パーセントマルトース加乳酸リンゲル液)五〇〇ミリリットルにMDSコーワ(デキストラン硫酸ナトリウム製剤・抗高脂質血症改善剤)、カルジオクローム(酸素欠乏に由来する諸症状の改善に効果のある細胞呼吸賦活剤)、プロセリール(脳代謝改善意識障害治療剤)及びATP(脳の組織呼吸を促進する代謝剤)を加えた点滴をし、これに二〇パーセントブドウ糖液にニコリン(意識障害治療剤)五〇〇ミリグラムを溶かして管注投与して、手術を再開し、同日一一時五七分に手術を終了した。

⑬ その後も被告は、応援に駆け付けた今医師、川田医師らとともに処置を行い、翌一六日午前六時二〇分、原告吉隆を東京女子医大第二病院に転院させた。

(五)  しかしながら、原告吉隆は、東京女子医大第二病院において同年一二月二六日まで治療を受けたが意識障害は回復せず、手術時の血圧低下、呼吸停止、心停止に近い状態に陥ったことに起因する低酸素性脳障害(痙性麻痺、四肢躯間屈曲拘縮、意識障害、自動運動不能の回復不可能ないわゆる植物人間の状態、以下「本件障害」という。)の状態にある。

2  以上のとおり認められる(ただし、右認定の(一)のうちの原告吉隆らが埼玉草加病院から被告診療所の紹介を受けたこと、(二)のうち被告が原告吉隆を一五日午後七時三〇分ころに診察して虫垂炎の診断をし、その後医師会主催の勉強会に出かけ、原告吉隆らに手術をする旨を告げたこと、(四)のうち各時刻における血圧と⑥までの投与薬剤がおおむね右のとおりであったことは、いずれも当事者間に争いがない。)。

なお、被告が福島医師から電話で原告吉隆の診療依頼を受けた際、同医師が述べたことを聞き書きした文書として提出されている乙第三五号証には、原告吉隆の喘息の治療経過及び使用薬剤の種類等が詳細に記載されているが、同号証は本件に先立つ証拠保全(当庁昭和六〇年(モ)第五二号)の際には提示されなかったこと、同号証には白血球数が一二八〇〇と記載されているところ、前記のとおり、福島医師が渡した名刺には白血球数一二五二〇と記載されており、被告本人尋問の結果によれば福島医師から被告が電話を受けたのは一度であって右白血球数の相違を説明できないこと、被告本人尋問の際に被告は名刺に記載されている白血球数については供述しているが同号証には何ら言及していないことからすれば、被告が原告吉隆を診察したときすでに同号証が存在していたことは疑わしく、被告が手術前に、喘息の状況を同号証に記載されている程に調査確認したと認めることはできない。

3  ところで、〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、腰椎麻酔には血圧低下、呼吸抑制、心停止などの合併症(いわゆる麻酔ショック)を生じることがあるのであって、①これは、腰椎麻酔によって交感神経節前線維がブロックされることにより、容量血管を含めて末梢血管が拡張して心臓への静脈還流が減少し、心拍出量を低下させ、血圧を低下させるためであり、②下半身の筋麻痺により筋の血流に対するポンプ作用を失わせ、胸腔内陰圧を低下させ、静脈還流の減少をもたらし、血圧低下を助長させる、③血圧低下は、腰椎麻酔施行後一五分以内に発現することが多く、通常は知覚・運動麻痺に先行し、麻酔高が高くなるほど血圧低下は著しくなり、正常人では収縮期血圧が七〇ないし八〇以下になると、脳血流量の低下によって悪心・嘔吐、精神不穏などの症状を呈するようになる、④高度の血圧低下を放置した場合には、意識消失、呼吸抑制、心停止等の重篤な結果を招く、⑤重篤な血圧低下による延髄呼吸中枢の抑制、麻酔高上昇に伴う助間筋、横隔膜の支配神経ブロックによって、呼吸抑制が起こる、等の事実が知られていることが認められる。このような一般的な知見と前記認定の原告吉隆の症状の推移に基づき、証人鈴木玄一(都立清瀬小児病院麻酔部長)の証言を合わせ総合すると、原告吉隆が手術中に陥った血圧低下、呼吸停止、心停止に近い状態は、腰椎麻酔ショックであって、これによって本件障害が生じたものと認められる。そして、甲第八号証に記載されているショックの程度の分類に以上認定の原告吉隆の容態を当てはめると、原告吉隆は、午後一一時〇〇分には血圧低下の兆候が発生し、軽症のショック状態になっていたものであり、午後一一時〇五分ころには中等症のショック状態に、さらに午後一一時一〇分前には重症のショック状態に陥っていたものと認められる。

4  被告は、本件障害は原告晃は転院先で高圧酸素療法を受けさせることを拒否したことによるものであると主張するが、原告晃本人尋問の結果によると、原告晃は、高圧酸素療法の施設のある病院の医師から、現在の状態でこれを施行した場合の危険性を指摘され、施行を見合わせたことが認められるし、〈証拠〉によっても、右療法を受ければ本件障害の程度が軽減されたとまでは直ちに認められないから、右主張は理由がない。

三請求原因3(被告の責任)について判断する。

1  喘息患者に対する腰椎麻酔の危険性について

〈証拠〉及び弁論の全趣旨を総合すると、患者に喘息の既往歴があることだけでは腰椎麻酔の絶対的、相対的禁忌とはされていないものの、麻酔及び手術侵襲は呼吸器系に何らかの影響を与え、正常の呼吸機能を有する患者では耐え得るような変化でも、呼吸器系合併症のために呼吸機能が低下した患者では重篤な障害をもたらす可能性があることから、呼吸器系合併症を有する患者の麻酔管理は慎重に行う必要があり、ことに喘息患者の場合には、術中に喘息発作が生じた場合に対処しなければならない点で、かような疾患を有しない患者よりもより慎重な麻酔管理が必要であることが認められる。

そこで、本件では右のような慎重な麻酔管理が要求されることを前提にして、原告ら主張の被告の責任について検討する。

2  術前管理を怠った過失(請求原因3(二))について

(一)  〈証拠〉及び弁論の全趣旨を総合すれば、術前管理としては、呼吸器に関係した既往歴、日常生活の情況を把握する必要があり、特に、現在、喘息、気管支炎などの呼吸器疾患を有する場合には、呼吸困難等の自覚症状の程度及びその症状の増悪ないし軽快因子、服用中の薬剤などについてもその情報を得る必要があること、また強度の脱水状態にある場合には、比較的禁忌となるので患者の脱水状態を確認し、脱水状態にある場合にはその改善措置を講ずる必要があることが認められる。

(二)  しかるに、被告が原告吉隆の喘息の程度、使用している薬などについての十分な調査確認をしていなかったことは前記認定のとおりであり、また喘息の治療もしていない(この事実は当事者間に争いがない。)のであるが、本件事故は術中に喘息発作が生じたことによって発生したものとは認められないから、結局、喘息の治療をしなかったことと本件障害との間に因果関係は認められず、この点について被告に過失があるということはできない。

(三)  また、本件全証拠によっても被告が原告吉隆の脱水状態を慎重に検査したものとは認められない(被告は脱水の有無を確認したが、脱水状態になかったので、カルテ(甲第一号証の一)に記載しなかったと主張するが、むしろ被告は当然には脱水状態と認められないと判断したものと認められる。)が、前記認定のとおり被告は本件手術に先立ち五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴を行っていること、乙第三六号証及び証人鈴木玄一の証言によると、被告が脱水状態の慎重な検査を行うことなく脱水状態にはないと判断したことを不当とすべき理由はなく、本件事故が脱水状態の故に発生したものとも認められないから、この点について被告に過失があるということはできない。

(四)  さらに、被告が問診を看護婦に任せて勉強会に出かけたことは、前記のとおりであるが、被告自らも問診していることが認められるから、この点について被告に過失があるということはできない。

3  術中管理、ことに麻酔ショックによる心停止に至るまでの血圧低下に対する予防・治療を怠った過失(請求原因3(三)(1))について

(一)〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、腰椎麻酔ショックに対しては、次のような対策をとる必要があるものと認められる。

(1) 血圧対策

腰椎麻酔に伴う血圧低下が軽度の場合には治療の必要はなく、ことに循環系に異常を認めない青・壮年患者で、腰椎麻酔によって徐々に血圧が低下して、術前の七〇パーセント程度の値で安定する場合には治療の必要はない。しかしながら、そうでない場合には重篤な容態に移行する場合があるから、頻回に血圧を測定して重篤な血圧低下を見逃さないことが肝要である(本件で麻酔剤として使用されたネオペルカミンSの能書には、麻酔剤注入前に一回、注入後は一〇ないし一五分まで二分間隔で血圧を測定するよう指示されている。)。血圧下降の兆しを認めたら、直ちに、酸素投与、輸液負荷、昇圧剤の投与、体位調整(下肢挙上及び頭低位)等の措置をとる。輸液負荷としては、乳酸加リンゲル液、生理的食塩水などを五〇〇ないし一〇〇〇ミリリットルを投与する。また、昇圧剤は、例えばエフェドリン二〇ミリグラム又はカルニゲン一ミリリットル等の昇圧剤を投与し、それでも回復しない場合には昇圧剤の投与を反復し、必要に応じて強力な血管収縮剤を使用する。下肢挙上により成人では一時的に五〇〇ミリリットルの輸血をしたのと同等の効果が得られる。頭低位は麻酔剤が安定した後では麻酔高の上昇を心配する必要がないので有効な手段である。

(2) 呼吸対策

呼吸抑制に至るのは重篤な血圧低下によるから、重篤な血圧低下を見逃さないことが必要であり、そのためには頻回に血圧を測定して、早期に血圧低下を発見し、右に述べた対応措置をとる。

(3) 心停止対策

心停止を発見次第四分以内に、気道確保、人工呼吸、心マッサージを含む循環管理の救急蘇生術を開始する。

(二)  そこで、まず血圧管理を怠った過失について検討するに、前記のとおり、原告吉隆は午後一〇時五三分に一一〇―六〇であった血圧が午後一一時〇〇分の時点では一〇〇―六〇に低下し、顔色不良となっていたのに、被告は、午後一一時〇三分に執刀を開始し、間もなく原告吉隆が気分不快を訴え、顔色不良で嘔気があったものの、カルニゲン一アンプルを管注投与しただけで、その効果を確認することなく、手術を続行し、しかも、午後一一時〇五分には原告吉隆が上半身、特に両上肢を盛んに動かしたときにも、嘔気止め剤であるプリンペラン一アンプルを管注投与しただけで、血圧の確認をせず、手術を続行している。血圧の確認をし、「上五〇、下測定不能」であることが分かったのは、前記認定のとおり、虫垂を腹腔外に取り出したときに、手術野の血液の色が悪いのに気付いた後であるから、午後一一時一〇分に近いころと推認されるのであって、この間血圧の測定をしていたとは認められない(なお、被告は血圧「一一〇―六〇」と「一〇〇―六〇」は測定誤差の範囲内であり、血圧が低下したことにはならず、また執刀開始前に血圧を測定して血圧低下がないことを確認していると主張し、被告本人尋問の結果中には、看護婦に対して一ないし二分間隔で血圧測定をするように指示していたとする供述部分がある。しかしながら、カルテに記録されている血圧測定結果は右のとおりであり、しかも重要な執刀開始時の記録がないことからすれば、血圧測定を頻回に行っていたとは認められないし、測定誤差の範囲だとするのも相当でない。)。

前記のとおり、被告は、原告吉隆に喘息の既往歴があり、三日前より喘息発作があって吸入を受けていたとの情報を得ていたのであるから、通常の場合より一層慎重な麻酔管理が必要な場合であったところ、以上認定の事実によれば、被告は、原告吉隆の症状からして腰椎麻酔の合併症(麻酔ショック)を疑うべき情況にあるにもかかわらず、安易に腰椎麻酔による通常の血圧低下に過ぎないと判断して手術を開始し、また開始直後の気分不快の訴えないし嘔気の症状も手術自体によって生じたものと軽信し、昇圧剤の効果を見定めることなく手術を続行し、慎重に血圧管理をなすべき注意義務を怠ったものであって、これが麻酔ショック発生の発見を遅らせ、ひいては麻酔ショックに対する対応措置を遅らせたものと認められる。

(三) 次に、血圧低下に対する治療を怠った過失について考えるに、腰椎麻酔による血圧低下に対する一般的措置としては、輸液、昇圧剤投与、下肢挙上あるいは頭低位があることは前記のとおりであるが、被告が原告吉隆の最高血圧が「五〇」になったことを知った時点でとった措置は昇圧剤ノルアドレナリン投与のみである。もとより、血圧が低下した場合に右一般的措置をすべて講じなければならないものとは認められず、証人鈴木玄一の証言によれば、麻酔の専門医である同人ですら直ちに下肢挙上あるいは頭低位を取ることを思い付かなかったという程であるが、少なくとも昇圧剤投与に並行して輸液負荷を行うことは本件手術に立会った人員設備からしても可能であったと認められる。

そうすると、被告には右血圧対策が適切でなかった点で過失があるというべきである。なお、被告は、輸液負荷に関して、乳酸リンゲル液を改良したポタコール液を投与していると主張しており、なるほど〈証拠〉によれば、ポタコール液は乳酸リンゲル液を改良したものと認められるが、右ポタコール液を投与したのは最高血圧が「五〇」になってから少なくとも三五分後の午後一一時四五分であって、適切な措置ということはできない。

4  被告は、その後原告吉隆に対し救急蘇生術を行い、一一月一六日午前六時二〇分に東京女子医大第二病院に転院させるまで処置をしたが、この間の過失の存否を論ずるまでもなく、右に認定したとおり被告に過失がある以上、被告は、原告吉隆が本件障害によって生じた損害を賠償する責任がある。

四請求原因4(損害)について

1  原告吉隆の損害 金一億一五六〇万二七三九円

(一)  逸失利益 金五八〇三万六一〇一円

前記認定のとおり、原告吉隆は昭和四六年一一月一一日生まれで本件事故当時一三歳であったところ、将来の労働能力を完全に喪失したものということができる。原告らは、原告吉隆が大学まで進学する予定であったと主張するが、諸般の事情を勘案するならば、大学まで進学したと推断することはできないので、同人の就労可能年数を一八歳から六七歳までの四九年間と認め、また、同人の得べかりし年収を本件事故当時の昭和五九年度版賃金センサス第一巻第一表全国性別・学歴別・年令階級別平均給与額の男子労働者学歴計の年収金四〇七万六八〇〇円とし、年五分の中間利息控除につき、五四年(一三歳―六七歳)のライプニッツ係数18.5651から五年(一三歳―一八歳)のライプニッツ係数4.3294を引いた14.2357を使用して、原告吉隆の逸失利益を算出すると、次の算式のとおり金五八〇三万六一〇一円となる。

4,076,800×14.2357=58,036,101円

(二)  将来の入院雑費 金六九二万七七七三円

前記認定のとおり、原告吉隆は現在いわゆる植物人間の状態であり、将来にわたって入院を余儀なくされることになるところ、厚生省大臣官房統計情報部編「第一五回生命表」によれば、原告吉隆の余命は六一年である。入院雑費は一日一〇〇〇円が相当であるから、ライプニッツ式計算式によって年五分の中間利息を控除して、本件事故当時における現価を算出すると、次のとおりとなる。

1,000×365×18.9802=6,927,773円

(三)  将来の付添費 金三四六三万八八六五円

〈証拠〉及び弁論の全趣旨によれば、原告吉隆は、食物の摂取や排便、排尿にも介護を要するほか、障害が高度で常に監視のための介護も必要な状況であり、これが回復を期待することもできないから、将来にわたって付添が必要であると認められる。付添費は一日五〇〇〇円が相当であるから、右(二)と同様に、本件事故当時における現価を算出すると、次のとおりとなる。

5,000×365×18.9802=34,638,865円

(四)  慰謝料 金一六〇〇万円

原告吉隆が本件事故による障害によって精神的苦痛を受けたことは明らかであり、慰謝料は金一六〇〇万円が相当である。

2  原告晃及び同裕子の固有の慰藉料

弁論の全趣旨によれば、原告吉隆は原告晃及び同裕子の一人息子であって、その将来にかける期待が大きなものであったことは想像を難くなく、原告吉隆が本件事故によって植物人間になったことによって精神的苦痛を受けたことは明らかであり、慰謝料は各金三〇〇万円が相当である。

3  弁護士費用

原告小笠原晃本人尋問の結果によれば、原告らは、弁護士である原告ら訴訟代理人に本訴の提起追行を委任し、原告吉隆が金一三〇〇万円、原告晃及び同裕子が各金一〇〇万円を支払うことを約したことが認められるが、本件事案の難易、訴訟追行の経過、本件請求額、前記認容額等を斟酌して勘案すると、原告らが本件訴訟代理人に対し負担するに至った弁護士費用のうち、本件事故との間に相当因果関係を有する費用は、合計金一一〇〇万円と認めるのが相当であり、右認定事実によれば、原告吉隆は金一〇〇〇万円、原告晃及び同裕子は各金五〇万円につき被告に対し請求できるものと認めるのが相当である。

五結論

以上の次第で、被告に対し、原告吉隆は、金一億二五六〇万二七三九円及びうち弁護士費用を除く金一億一五六〇万二七三九円に対する本件事故日である昭和五九年一一月一六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を、原告晃及び同裕子は、各金三五〇万円及びうち弁護士費用を除く各金三〇〇万円につき右同日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ請求する権利を有するものと認められる。

よって、本訴請求は右の限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官原健三郎 裁判官伊東正彦 裁判官稲元富保)

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